「ガラス綺麗ですね。」 作品を見てくれた方は、こう感想を述べる。僕は誉めてくれても、素直に受け止める事がいまだに出来ないでいる。
僕がガラスという素材にこだわり、ステンドグラスを仕事にする理由は、「ガラスが綺麗だから」だ。シンプルな答えで申し訳ないが、それ以上に上手く表現できない。あえて言葉にすれば、それは【崇高】(その存在が極めて高い境地にあり、とても近寄りがたい感じを与える様子/国語辞典より)、という感覚になってしまう。
十数年前、はじめてステンドグラスに使用するガラスを見た時、その手ざわりや艶・色などに美しさを感じた。しかし何より僕の感性を刺激したのが【透明】ということ。物体としてそこにあるのに存在しないような曖昧さや、限界のない奥行きに、とても惹かれたのだ。それからは透明とは何か?という、透明のその奥にある答えを追究する事が僕のこだわりになった。そして数年後、スペイン・セビリアのカテドラル(教会)の中で、それまで求めていた答えがもしかすると【崇高さ】なのかもしれないと気付いた。と同時に、ステンドグラスを一生かけて取り組むべき仕事と決めた。もしかすると教会を最初に設計した建築家も、同じようにガラスの中に「崇高さ」を感じ、ステンドグラスとして取り入れたのかもしれない。
僕にとってステンドグラス制作は、その曖昧な存在感のガラスに挑んでいる様なもの。何とか自分の力で、【透明の奥にある何か】をステンドグラスという技術で表現したいのだ。「ガラス綺麗ですね。」は、僕には「ガラスはなぜ綺麗なの?」に聞こえる。言葉ではなく作品から答えを読み取れるような、そんな作品をいつかは創ることが出来るだろうか。
GD5/Masaki Matsumoto |